2020.12.31
生きる
2020年も今日で終わり。
そして、このブログの更新も今日が最後となる。こうして今日を無事に迎えられたことに、私はほっとしている。
私の父が他界したのが昨年の一月。前日まで普通にクルマを運転していたが、朝方に救急搬送され、それからは何の言葉も発することなく、二か月半後に息を引き取った。
人間、どういう風に死んでいくのか、分からない。
もしも、突然、私が父のように死んでしまったら、このブログはどうなるのだろうと私は考えた。
ある日を境に更新されなくなり、そのままという中途半端な状況は避けたかった。このブログは特に思い入れもあるので、終了するなら、きちんとした形を取りたいと思った。
それが、このブログを始めた私の責任である。
このブログを始めた頃、私は無職だった。
朝一番でハローワークに行き、それからは自宅から離れた森林公園のような場所で、人目を避けながら、夕方まで過ごすのが日課だった。
夏の暑さをひたすら耐え、冬の寒さに凍えながら、私は「自分は生きていて良いのだろうか」、「生まれてきて良かったのだろうか」と何度も考えた。
このブログを書きながら、ずっと私は「生きる」ということを考えていたような気がする。
現在になっても、自分の中で、明確な答えは出ていない。おそらく、この先の未来もはっきりとした答えは出ないのかもしれない。
それでも「生まれてきて良かった」と今、私は思っている。この思いが自分の中から消えない限り、かつての私のように、仮に暗黒時代に戻ったとしても、這いつくばってでも、泥水をすすってでも、生きていけるのではないか。
命ある限り、私は生きて、生きて、生き抜いていこう。
長い間、応援ありがとうございました。みなさんの応援のおかげで、ここまでブログを続けることができました。みなさんと力を合わせて、このブログは出来上がったのだとただただ感謝しています。
それでは、みなさん、良いお年を。良き人生を。
道草吾郎