あるものを  ないものとして  生きてみる

 ときには現実に目をつぶることが自分の救いになるかもしれません

 子どもの頃から、私は自分の胃腸に自信がない。

 誰かに叱られたとき、試験などでプレッシャーがかかるとき、そういうときは決まって、お腹の調子が悪くなった。

 精神的な原因ばかりではない。冷たいものを飲み、食べ、薄着のまま過ごしていたら、具合が悪くなることも度々あった。

 その傾向は今でも変わっていない。

 今日、社長から話があると伝えられるだけで、トイレに行きたくなるし、冷房は涼しくて気持ちいいのだが、どこかでお腹を冷やさないかという心配も常に抱えている。

 そういう体質なので、夏のお出かけは慎重になる。

 私は極端な暑がりではないが、夏はどうしても薄着になる。なおかつ、冷房が効き過ぎている場所もあるので、お腹を冷やす危険性は高まっている。

 そういう中、不慣れな出先で、うまくトイレが見つからなかったら、私としては死活問題である。

 仮に見つかったとしても、そのトイレの設置状況も重要で、場合によっては使用をためらうことも出てくる。

 たとえば、運良く、コンビニのトイレが見つかったとする。しかし、運悪く、誰かが使用している状況も多々ある。その場合、ちょっとくらいなら待てるだけでの体力が残っていても、あえて、私はその場を立ち去り、トイレ流浪の民を選択する。

 やはり、前利用者の生々しさが残る空気感の中では快適にはできないし、そこはささやかなプライドを大事にしたいと思う。

 たとえば、ショッピングセンターなどで、トイレが複数、設置されている場合。となりに誰かがいる気配を感じるときも、ためらいを感じてしまう。

 おとなりさんに、存在感を主張してしまうリスクがあるので、そこは小心者の私としては、大いに気後れしてしまう。できることなら誰もいないフリースペースで奮闘したい。

 とはいえ、本当の緊急事態になったら、そんなことも言っていられないけれど…。

 夏の日のお出かけ。何かと心配しながら、いろいろと動き回っている私である。