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 店を出て、遍路道を歩いていると、左側の山の斜面にアメリカのハリウッドサインのようなものを発見する。大きな白いアルファベットが一文字ずつ並んでいる。つづりは「ORENGE TOWN」。 
 「ハリウッドみたいですね」
 テツが喜んでいる。「HOLLYWOOD」ではないが、珍しいものを見られたのではないか。歩いていると、たまに、こういう珍しいものにも出会える。これも、ゆっくりペースの歩き遍路の恩恵だろう(ちなみにORNGE TOWNとは分譲地の名称らしい)。

 県道から旧道に逸れ、次の八十七番札所の奥の院・玉泉寺の門前で休憩。会話もなく、ぼんやりしていると、いきなり、私たちは声をかけられた。
 「こんにちは」
 いつの間にか、老夫婦が私たちのそばに、やってきていた。私とテツも同じように、あいさつを返す。
 「お遍路さん?」
 夫人は軽く頷き、訊ねてくる。私は「はい」と答える。旦那さんがニコニコ顔で私たちを見つめている。
 「最初から、歩いているの?」
 再び、はいと私は答える。中断はしたが、歩いていると言っていいだろう。
 「それなら、残りは二ヶ所?」
 「そうです」
 「もう少しね。頑張ってね」
 ありがとうございます、と私とテツは声を揃える。老夫婦がにっこりと笑って、去っていく。これまで、どれだけの声援に勇気づけられただろうか。出会った人たちの声援が確実に私たちの力になっていた。遍路はひとりではない。みんなの力で歩かせてもらっている。

 鴨部川を長尾橋で渡り、第八十七番札所・長尾寺に到着。ここは、あの源義経が愛した女性・静御前が出家して、尼になったお寺らしい。境内には静御前の剃髪が埋められた「静御前剃髪塚」がある。
 つまり私たちは今、あの静御前と同じ場所に立っていることになる。何百年も経て、私たちは、つながっている。歴史の悠久さを感じると同時に、その時の静御前の心情を思うと、少し切なくなった。
 境内には高い建造物もないので空が広く、明るい。ここまで八十七ヶ所。残りは一ヶ所。結願まで本当にもう少し。明日も、この明るい空の下を歩き、最後の札所に辿り着きたい。

 夕食のあと、洗面所で私が歯を磨いていると、テツがやってきて、となりで歯を磨きだす。ちょっとした沈黙。もうすぐテツともお別れである。
 本当にテツには世話になった。私がここまで来られたのも半分以上とまでは言わないが、かなりの部分、テツのおかげではないかと思う。でも、その感謝の言葉が、ここでは出てこない。
 私は黙ったまま、口をすすぐ。テツも私と同じように口をすすぎ始める。二人の口から吐き出されるすすぎ水がステンレスの流しに当たり、沈黙の中に不規則な音を立てる。
 「アキオさん、今まで、ありがとうございました」
 いきなりテツが言い出す。となりを見ると、蛍光灯の白い光の中でテツが微笑んでいた。
 「アキオさんと、ここまで歩いてこられてよかったです」
 「ああ、明日もよろしく頼む」
 急いで私は洗面所を立ち去った。それ以上、テツの言葉を聞いたら、私の涙腺は意志をなくしそうだった。ここまで歩いても、私の弱さは何一つ変わっていない。


八十七番 

第八十七番札所・長尾寺・聖観世音菩薩