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 最初に。

 旅の記事ですが、想定外の野宿になってしまい、私には写真を撮る余裕がなくなってしまいました。そういう訳で、今回は写真がありません。誠に申し訳ありませんが、あらかじめご了承ください。


 朝になった。生きて、家に帰るための戦いの始まりである。

 まずは腹ごしらえ。残っている数少ない食料から菓子パン一つを選ぶ。今日中に、この山を脱出するつもりだが、もしものことを考え、残すことにする。

 次に飲料水の確保。山登りでスポーツドリンクが500ミリにも満たないのは、心もとない。空になったペットボトルが一本あるので、沢の水を汲んでおく。

 汲んだ水をちょっと一口。浮遊物はない透き通った水だが、何となく藻の匂いがする。残っているスポーツドリンクを優先しよう。ただ、何はともあれ、水があるというのは気持ちに余裕ができる。

 地図によると、沢を渡ればJR土樽駅への道につながり、これから山を登り下りするよりも時間も労力も節約できるが、沢を渡れない状況では、どうしようもない。

 再び、標高差1000メートルほどを登り、下っていくしか私が生きて帰る方法はない。そして自分の家で、あたたかいお風呂に入り、あたたかい布団で眠るのだ。

 雨は上がり、くもり空のすき間から青空が覗いていたが、重ね着したまま、私は歩きだす(寒気は感じなかったが、身体が温まってもいなかった)。けれど、思うように足が進まない。やはりエネルギー不足、睡眠不足が響いているのだろうか。

 時折、垂れ下がっている黄色いロープに頼りながら、森林地帯の急登を抜けていく。どう考えても、山登り初心者が登るルートではないと私は確信した。

 途中、崖を臨む斜めになっている岩に座り、小休止。少しでも足を滑らせれば、崖に真っ逆さま。でも、不思議と恐怖感は全くなかった。もはや、感覚がおかしくなっているのだろうか。やっと身体も温まった私はここで重ね着していたものを何枚か脱いだ。

 のろのろ歩いては休み、またのろのろ歩いては立ち止まる。そんなことを繰り返しながら、私は何とか熊笹群生地帯に戻ってくる。

 ガスも流れ、視界に大きな広がりが生まれてきている。そこは素晴らしき景色。長い長い山裾を一直線に流れる水の流れ。あの沢につながっているのだろうか。雄大な自然の造形に自分の置かれている状況も忘れ、私は釘付けになった。

 昨日は視界不良で全く気づかなかったが、こんな絶景が広がっていたなんて。ひょっとして、神様は私にこの絶景を見せるために、ちょっといたずらをしたのだろうか。

 頂上から、人の話し声がしてくる。駆け出したい気持ちにもなったが、体力的に全く余裕がない私はゆっくりと頂上に近づいていく。こんなにも誰かの声が希望を与えるなんて、私は初めて知った。

 混み合っていた頂上を通り抜け、下山道へ。間違いなく、木段が続いている。少し下った先に休憩スペースがあり、そこで辛うじて残っていたスポーツドリンクがなくなった。

 頂上から下りはじめて五十分ほど。山小屋が見えてくる。そこには湧き水があると事前に情報は仕入れていたので、ペットボトルに、その湧き水を入れ、一気に飲み干す。もしかしたら、今まで飲んできた水の中で一番美味しい水だったかもしれない。

 そこから何人もの登山者に追い抜かれながらも、午後三時頃、私はバス停に到着。朝、沢を出発してから九時間が経過していた。

 それからバスに乗り、越後湯沢に戻り、新幹線、常磐線と乗り継いで、予定より一日遅れで帰宅。あたたかいお風呂、あたたかい布団に入れることが、こんなにも、しあわせなことだと実感した夜であった。

                                       おわり