FC2ブログ

 ある年齢になると、新聞の「お悔やみ」欄が気になるらしい。

 自分の知り合いの名前が、そこにないことを確認し、一安心する(もちろん、他の誰かにとっては、それぞれの悲しみが存在しているけれど)。

 でも、いつかは必ず、やってくる。

 知っている名前を見つけ、『あいつも死んだのか』と思う。あるいは、先に自分の名前がそこに書かれることもあるかもしれない。

 ただ、いつかはいつかであって、今日ではない。

 正直なところ、長生きしたいかどうか、自分でもよく分からない。

 おそらく私は独居老人になるだろうけれど、はたして「健康で文化的な最低限度の生活」が送れるかどうか自信はない。

 これから年をとれば、どこかしら体調面で不安が出てくるだろうし、老後に頼るべき年金も心許ないものしかもらえないだろう。

 そういう老後不安を抱える中で、長生きすることが、はたして、しあわせなことなのだろうか。

 かといって、「明日、あなたは死にますよ」と死神に耳元でささやかれるのも嫌だけれど。

 今日、生きていれば明日も生きたいと思う。

 たとえば、今日の夕食のおかずを少し残して、明日のためにとっておくことが私には多々ある。それは意識していないにしろ、明日、生きていられるための「おまじない」のようなものなのかもしれない。

 今日、笑えないときは無理して笑わず、明日、笑えるようになりたいと私は思う。

 明日、何があるか分からない。でも、今日を生きる私は明日があることを願う。
Secret